本日、新聞等の報道でもありましたが、振付家であり、バレエ指導者の小川亜矢子先生がお亡くなりになりました。
81歳の天寿を全うされました。
亜矢子先生は、日本人で初めてロイヤルバレエスクールに留学した方であり、日本に初めてオープンクラスでのチケット制を導入された、バレエ界の先駆者。
亜矢子先生のレッスンを受けたくて、夜行バスで12時間かけ、東京まで通った10代・20代の頃。
当時、六本木にあったNY風のいくつもあるスタジオ・・・
『スタジオ一番街』
そこへ通ってくる、プロのダンサーたち。
そのスタジオが、舞台にも変化する設計になっていて、亜矢子先生の選ばれたお弟子さんだけが、パフォーマンスに参加できたこと。
あまりにも受講生が多く、定員オーバーで受けられなかったり、受けられたとしても、私は全く目に留まらず、注意をもらいたくて張り切り過ぎて、次の日筋肉痛に悩まされたこと。
そして、亜矢子先生の作品に出演させていただき、作品の内容や技術の難しさについて行けず、しごかれたこと。
今では、全て貴重な思い出です。
私の青春時代は、全てバレエに捧げましたが、その中にはたくさんの先生方や仲間がいます。
おこがましいですが、亜矢子先生は、もちろんその中の一人。
振付やリハーサル中は、全く笑顔は見せず、とてもお厳しく、本物のプロしか指導しない。
そんな亜矢子先生も、ご自分の作品のカーテンコールの時だけは、とびきりの笑顔と白鳥のようなレベランスをされ、ダンサーをねぎらってくれました。
本当にお美しく、ため息が出たのを今でも忘れられません。
当時、60代だったのではないでしょうか。
先生は、当時の方にとっては背が高く、168㎝くらいだったと思いますが、「この身長のお陰で、海外へ行っても物おじしなかった」とか、私には「あなた、背が高いんだからもっと大きく動きなさい」、「爪が割れるなんて鍛錬が不足している証拠」と、大切なお言葉を残してくださいました。
今では、海外留学なんて当たり前ですが、先生が活躍されていた時代は、私たちの想像する以上のご苦労があったはず。
私も、亜矢子先生のように信念を貫き、強く、そして優しい女性になりたいと心から思います。
亜矢子先生、ありがとうございました。
どうぞ、安らかにお眠りください。
合掌